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私が生まれる前の出来事だから、ちょっとわかりかねますが、戦争が終わって65年もの年月が流れてだんだんと戦争の怖さを忘れていっている今があります。大勢の人が一瞬で犠牲になってしまいました。二度と戦争という悲惨な出来事が起こらないことを願って原爆ドームがある平和記念公園がある。と聞いています。このような悲惨な出来事は二度とおこさないで欲しいものですね。
今年が65年目ということもあるのか、今年の広島原爆の日の平和記念式典には、過去最多だった昨年(59ヶ国)を上回る74ヶ国の代表が出席し、参列したそうですね。人類で唯一核兵器を使った米国の代表が、唯一の被爆国である日本の平和記念式典に参加したということは大きな前進で歴史的なことですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100806-00000014-maip-soci
広島原爆の日 米代表が来ても…父母亡くした女性、傷今も
8月6日12時57分配信 毎日新聞
拡大写真
「米国代表が来ると聞き、とても嫌な気持ちでした」。米英仏代表の出席に歓迎ムードが漂う中、埼玉県の遺族代表として6日、参列した加良谷(からたに)恵美子さん(67)は複雑な心中を明かした。
【写真特集】あれから65年 広島原爆の日
爆心地から1.1キロの自宅で被爆した。父はほぼ即死。母も約1カ月後に亡くなった。当時の記憶はないが、「恵美子はお母さんに抱かれておっぱいを飲んでいた」と姉から聞かされた。自身も右側頭部に重傷を負い、今も変形したままだ。
広島の祖父母宅で育てられた。両親の記憶すらない寂しさを常に感じていた。
結婚で転居した埼玉県で約30年前、被爆者団体に加入。04年にはスペインで被爆体験を証言した。5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ、日本被団協の派遣団として訪米を打診されたが、「アメリカにだけは絶対に行きたくない」と固辞した。
「核兵器のない世界」の実現を願う気持ちは共通だ。それでも加良谷さんは米国を許すことができないという。「愛情も知らぬまま両親を殺された。生きていたらどんな愛を注いでくれたんだろうと思うから……」
広島には両親の写真を胸に忍ばせて来た。「外国の方のことは関係ない。ただ両親と亡くなられた方々のご供養だけを祈りに来ました」。式典でも駐日米大使には目を向けようとはしなかった。【豊田将志】
8月6日12時57分配信 毎日新聞
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「米国代表が来ると聞き、とても嫌な気持ちでした」。米英仏代表の出席に歓迎ムードが漂う中、埼玉県の遺族代表として6日、参列した加良谷(からたに)恵美子さん(67)は複雑な心中を明かした。
【写真特集】あれから65年 広島原爆の日
爆心地から1.1キロの自宅で被爆した。父はほぼ即死。母も約1カ月後に亡くなった。当時の記憶はないが、「恵美子はお母さんに抱かれておっぱいを飲んでいた」と姉から聞かされた。自身も右側頭部に重傷を負い、今も変形したままだ。
広島の祖父母宅で育てられた。両親の記憶すらない寂しさを常に感じていた。
結婚で転居した埼玉県で約30年前、被爆者団体に加入。04年にはスペインで被爆体験を証言した。5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ、日本被団協の派遣団として訪米を打診されたが、「アメリカにだけは絶対に行きたくない」と固辞した。
「核兵器のない世界」の実現を願う気持ちは共通だ。それでも加良谷さんは米国を許すことができないという。「愛情も知らぬまま両親を殺された。生きていたらどんな愛を注いでくれたんだろうと思うから……」
広島には両親の写真を胸に忍ばせて来た。「外国の方のことは関係ない。ただ両親と亡くなられた方々のご供養だけを祈りに来ました」。式典でも駐日米大使には目を向けようとはしなかった。【豊田将志】